2007年07月03日

京都で起きた無理心中事件に思う

京都の3兄妹殺害、父親を逮捕
読売新聞

京都市伏見区の民家でまだ10代の兄妹3人が殺害されているのが見つかった。この事件の容疑者として逮捕されたのは、なんと三人の父親であった。犯行前日の夜、子どもたちに「元気が出る薬」と偽って睡眠薬を飲ませ、ロープで絞殺。自身も睡眠薬を大量に飲んで自殺しようとしたが、命を取り留めたため、逮捕に至った。

供述によると「世の中に嫌気がさし死にたくなった。子どもも、こんな世の中に置いていくのはかわいそうと思った」と言っており、また、自分の母親宛に「先に逝くことを申し訳なく思うが、子供が幸せなうちに死なせてやりたい」などと書いた遺書を残していたことも判明している。

この痛ましい事件、一部報道では「無理心中を図った」とのこと。しかし自分は、そもそもこの無理心中という概念が納得いかない親が子供の意思や主張や人権を一切無視し、自分勝手且つ一方的な思い込みで我が子を殺める行為の何処に正当性があるというのか?こうした行為に及ぶ親は大抵「子供だけがこの世に残されるのが不憫だから」と口走るが、何の罪科も無いのに実の親に殺されるほうがよほど不憫ではないか!

ましてやこの男は己の母親が健在なのである。つまり己の母親に「私の息子は私の孫を三人も殺し、自らも死のうとした人間」という十字架を背負わせて今後の人生を送らせようとしたのだ。その知らせを聞いた己の母親がどれほど悲しむか僅かでも考えたのだろうか?

「親思う 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
(吉田松陰:幕末の思想家・尊王論者)

これは「自分が処刑されることを聞いた親はどれほど悲しむだろうか」と詠んだ松陰先生の辞世の句である。死の間際まで親のことを思う松陰先生に比べ(比べるのがそもそも失礼だが…)、この男、あまりにも情けないし、思考が短絡的過ぎる

この男がどのような法の裁きを受けるのはまだ先の話であるが、とにかく今はただ、無くなったうら若き兄妹達の冥福を祈りたい…


今もなお、多くの人に慕われる。
posted by 只今(橘カヲル) at 23:14| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感:事件 | 更新情報をチェックする
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