鳥取城(Wikipedia)
そんな鳥取城が、このたび注目を集めることになったのだが……。
鳥取城跡のキャラ公開中止 かつ江さん、「飢餓連想」と批判受け
(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140709/trd14070921430010-n1.htm
かつ江さん:「公表の仕方や管理ずさん」作成者が不満訴え
(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20140712k0000m040062000c.html

産経新聞より
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2014/07/10/25tottori/
鳥取城跡を広く発信するため、鳥取市教委は鳥取城跡のマスコットキャラクター「かつ江(渇え)さん」を公募で選定。同市のホームページ(HP)で公開した。籠城戦で飢餓を生き延びた庶民をモチーフにしたのだが、「飢餓をちゃかしている」、「名前が同じで不快」といった声を受け、僅か4日間で公開終了となった。
鳥取城は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と毛利軍との戦いの舞台になった。堅牢で知られた鳥取城に対し、正攻法で挑んでは自軍の被害が大きくなると考えた秀吉は兵糧攻めを実行した。
まず手始めに鳥取城下の米を破格の値段で買い占めておき、その上で相手方の補給線を断つため大軍を率いて城を包囲。更に非戦闘員である周辺領民を鳥取城へと追い込んで城内に備蓄された食料を余計に消費させるようにして、
「死か服従か、今ならまだ選べるぞ?」
(by.豊臣秀吉:戦国BASARAシリーズ より)

ワンコイングランデフィギュアコレクション 戦国BASARA 第弐陣 染衣装編(再販) [7.豊臣秀吉](単品)
と迫ったのだ。
籠城が長期化するにつれて鳥取城内は深刻な飢餓に襲われた。城内の牛馬や犬猫、草木は食べ尽くされ、果ては死者の人肉を食らう(!)ところまで追い詰められたことから、鳥取城の指揮官だった吉川経家(きっかわつねいえ)は、ついに自身の自決を条件に降伏を申し出た。
秀吉は慰留したものの経家の決意は固かった。結局、経家のほか6名が切腹して鳥取城は開城され、城内で生き残っていた人々には粥が支給された。しかし(無理もないと思うが)胃腸が弱っているにも関わらず勢い良く粥を食したため、それが元で急死する者が後を絶たなかったという。この凄惨な顛末は、後世に「鳥取の渇(かつ)え殺し」と伝えられる事になる……。
【参考資料】
http://www.kawahara-shiro.com/history/history2
http://www.junk-word.com/taiga-drama/xn--f6qx0wq4bm15evzg/002197.html
http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_2_a.html
おっと、つい長々と書いてしまった(苦笑)。ともあれ何が言いたいかというと、このように極めてネガティブなイメージのある「鳥取の渇え殺し」という「悲惨な事件」の「被害者」をモチーフにして、マスコットキャラクターという、ある意味で「笑いのネタ」を作るのは、質の悪いブラックジョークにしかならないということである。
マスコットキャラクターは、ポジティブイメージのものが必須条件では?
◆最後までお読み頂きありがとうございました。
