2013年06月22日

明智光秀が本能寺の変を起こした動機についての論争に一言

新説、本能寺の変。光秀が信長を討った真の理由
(エキサイトレビュー)
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20130621/E1371748380301.html

『本能寺の変』は日本史上屈指のビッグイベントといって差し支え無いだろう。1582(天正10)年、京都の本能寺に滞在していた主君の織田信長を、臣下の明智光秀が

「敵は本能寺にあり!…フハハハハハハハハハ」
(by.明智光秀:戦国BASARA2 より)

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と軍勢を率いて急襲し、自害に追い込んだクーデター事件である。

本能寺の変
Wikipedia

「なぜ光秀は信長に反旗を翻したのか?」については謎が多く、怨恨説・野望説・誰かにそそのかされた(黒幕は別にいる)説など諸説紛々し、長年議論の対象となってきた。朝日新聞出版より創刊の『週刊 新発見!日本の歴史』第1号には、最新の学説に基づく本能寺の変の理由を、それぞれの説の有力度を星の数(最大3)で示す形で掲載されている。

・怨恨説 星2
・野望説 星2
・悲観説 星1
・四国政策説 星3
・黒幕説……朝廷説(星1.5)、足利義昭説(星1)、羽柴秀吉説(星0.5)、徳川家康説(星0.5)

さて冒頭の記事タイトルにもある「光秀が信長を討った真の理由」として雑誌で一推しされているのが、星3つがついた四国政策説。信長は土佐(高知県)の長宗我部氏と友好的な関係にあり、その窓口役が光秀だったのだが、信長が方針を転換したため光秀の面目が潰れ、彼に信長を討つ決意をさせた……あれ、これって怨恨説の新たな根拠では? そもそも四国政策説そのものだって、それほど目新しいものではないぞ。

まぁ本能寺の変は、忠臣蔵の『松之廊下刃傷事件』や坂本龍馬が暗殺された『近江屋事件』並に多くの人が調査・研究対象にしているため新説や異説、中には珍説も多く、それが更に真相をわかりにくしてしまっている感がある。しかし記事中にも指摘があるが、人間が「あるひとつの理由」だけで行動に及ぶというのも短絡的過ぎる。それは環境汚染が複合汚染であるケースが殆どであるようなものだ。

光秀の心中に怨恨・野望・悲観等々が複雑に入り交じり、積もり積もっていたときに、信長が僅か数十人を供に連れただけの状態で京都に滞在している(当時の畿内は信長の勢力下にあったから敵襲を考慮する必要がなかった)事実が脳裏をよぎり、つい衝動的に行動してしまったのではないかなぁ……と私は思っている。

光秀ほどの優秀な人間であっても徹頭徹尾理詰めで動いているわけではないと思う。ふと「魔が差す…」ときだってあるのでは?


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posted by 只今(橘カヲル) at 10:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感:サイエンス | 更新情報をチェックする
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