2011年06月09日

小牧山城跡で発見された石材の墨書に織田信長の人心掌握術を想う。

信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古
読売新聞

愛知県小牧市にある小牧山城跡は、織田信長が1563年に築城した小牧山城の跡である。昨日、ここで城郭の石材に書かれた墨書(墨で書かれた字)としては日本最古のものが見つかったと記事は伝えている。これまで城郭の墨書は、同じく信長が1576年に築城を始めた安土城のものが最古とされていた。

今回見つかった墨書は、重さ90キロほどの石垣の石材に縦書きで書かれた「佐久間」の文字。これは信長の古くからの家臣である佐久間信盛と見られるとのこと。奈良大学の千田嘉博教授によれば「最も目立つ工区に重臣の佐久間信盛を割り当てて仕事をさせた。信長の巧みな人心掌握術をうかがわせ、興味深い」と話しているという。

なお記事にも記載があるように、佐久間信盛は織田信長の父・信秀の時代から信長に仕えていた。つまり信長が

「この、うつけ者がーッ!」
(by.東方不敗:機動武闘伝Gガンダム より)

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HGFC 1/144 GF13-001NHII マスターガンダム&風雲再起 (機動武闘伝Gガンダム)

と呼ばれ、家督相続者としては信長の弟である信行のほうがふさわしいと後ろ指をさされていたころから信長に仕える古参の家臣である。

そして小牧山城は、桶狭間の戦いで今川義元を打ち破った信長が、美濃国攻略を本格化させるべく、居城をそれまでの清洲城から移す目的で建築された。

弟との跡目争いに勝って家督を相続し、敵の大軍勢を寡兵で打ち破るなど勢いに乗る自分を幼少より支えた家臣に築城においても見せ場を与えることで、部下の心の掌握と、自己の影響力の強化を同時に行っているのは凄い。信長の指導者としての才覚が見て取れる。

しかし時が流れ、石山本願寺攻略を命じたものの遅々として進まなかったことに業を煮やした信長は、佐久間信盛とその息子を追放処分にしてしまった。30年も自分に仕えた股肱の臣に対する苛烈な処分は家臣たちを疑心暗鬼に陥れ、本能寺の変が起きる遠因になったと指摘する専門家もいる。

閑話休題、見つかった石材は10~22日、小牧市歴史館で公開されるそうだ。巧みな人心掌握術を駆使していたはずの信長が、なぜ30年も仕えた部下に対して苛烈な処分をくだしたのか? そんなことを考えながら見学に行くのも楽しいかもしれない。


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信長の人心掌握術示す墨書、城郭石材に…最古
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posted by 只今(橘カヲル) at 21:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感:地域 | 更新情報をチェックする
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