(朝日新聞)
2007年10月、当時16歳だった青森県八戸市の県立八戸工業高校1年の男子生徒が自宅で自殺した。これは、男子生徒が所属していたラグビー部の顧問教諭の行き過ぎた指導や部員からのイジメを学校側が放置したことが原因として、男子生徒の両親が青森県を相手取り700万円の損害賠償を求める訴えを青森地裁に起こした。
両親は県や高校に真実の解明と謝罪を求めてきたが、職員会議の文書が破棄されるなどしたため、提訴に踏み切ったという。両親は県が高校の設置管理責任を怠ったと主張している。これに対し県教育委員会は「訴状を見ていないので、現時点ではコメントできない」とした。
訴状によれば、男子生徒は顧問の勧誘でラグビー部に入ったが、直後から部内でイジメに遭い退部を決めた。ところが顧問から「やめるなら退学しろ」などと言われるなど執拗な退部阻止工作を受けて精神的に追いまれた。睡眠障害などを起こし、秋ごろには欝の症状も見られるようになり自ら命を絶ったとのことである。
上記のような事例のほか、部員間での暴行事件や顧問の体罰といった体育会系の部活動に関連したトラブルは、残念ながら後を絶たない。よく言われるように
「健全なる魂は健全なる精神と健全なる肉体に宿る」
(by.マカ=アルバーン:ソウルイーター より)

ソウルイーター トレーディングアーツ vol.1 マカ=アルバーン単品
のだとすれば、日々スポーツに勤しんで体を鍛えている彼らが歪んだ精神性の人間になるハズはないのに……と思われている方がいるとすれば、それは思い違いがあると言わせてもらいたい。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という格言は、もともとユウェナリスという古代ローマ時代の風刺詩人の言葉に端を発する。財産や長寿や美貌といった快楽主義的な願い事ばかりを神に祈る人たちを戒め、またそれに負けないように「心身ともに健全であることを祈るべきである」としたのが元の意味。
ところが、この言葉がラテン語から英語に訳されたとき「健全な身体の中に健全な精神があるように祈るべきだ」と直訳の弊害から元の言葉とは意味がずれてしまった。さらに近世に入って軍国主義が推し進められると身体的能力の高い人間は兵士として有能であることから「~ように祈るべきだ」の部分が意図的に外されてしまい「健全なる精神は健全なる身体に宿る(A sound mind in a sound body)」という格言となった。
こうして「身体を鍛えている人は高い精神性を持つ人間に決まっている」「身体能力の低い人間は尊敬に値しない」といった歪んだ認識が根付いたまま、21世紀の今に至っている。どれだけ不祥事を起こしても体育会系関係者に対して世間の風当たりが強くならないのは、この思想の信奉者が未だ多いためだと私は睨んでいる。
※参考
ユウェナリス
(Wikipedia)
「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス
(世界の古典つまみ食い)
しかし、この思想は誤訳と恣意的解釈の果てに誕生したものだ。スポーツや武道の技術に秀でていることと精神性の高さに連動性は全くない。高い精神性は身体的鍛錬とは別に鍛えていかなければならないものだ。指導する側も、される側も、そして保護者も早くそれに気がつかないと、体育会系関係者による不祥事は増加こそすれ減少してはいかないと思う。
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