(時事通信)
2008年3月、茨城県土浦市のJR荒川沖駅周辺などで刃物を持った男が暴れ回り、2人が殺害され7人が重軽傷を負った事件をご記憶の方も多いことだろう。この事件の犯人で殺人などの罪に問われた金川真大被告(26)が、本日(28日)付で控訴を取り下げたと記事は伝えている。これにより、水戸地裁で言い渡された金川被告の死刑が来年1月5日午前0時に確定する。
「自殺は痛いから死刑になりたかった。執行を待つだけ」などと嘯き、凶行に及んだ金川被告。「無差別連続殺傷で、わが国の犯罪史上まれな凶悪重大事案。死刑願望達成のため他人の生命を奪うという発想は身勝手極まりない」とした水戸地裁の判決にも頷ける。
だが私はそれと同時に、金川被告の口から「死刑はごほうび」といったように、死を美化するようなセリフが発せられるたびに違和感を覚えるのだ。私には同被告が死刑を望んでいるというより「死刑を望んでいる自分の姿に酔っているだけではないのか?」と感じられてならないである。
話は飛ぶが、元禄赤穂事件――いわゆる忠臣蔵のお話をご存知の方も多いことだろう。主君である浅野内匠頭長矩の無念を晴らすため、吉良上野介義央を討つべく大石内蔵助良雄をはじめとする総勢47名が討ち入りを仕掛け、本懐を遂げるというストーリーだ。
実は「吉良討つべし」との意見に同調した人間は、当初47名よりも多かった(最大時は130名を超えたとのこと)。しかし途中で脱落した者もまた多かった。なにしろ太平の世を乱す徒党を組んでの襲撃計画なのだから、たとえ本懐を遂げたとしても死罪は免れがたい。一時の激情に駆られ、主君の仇討ちを遂げた忠君という己の姿に酔っただけの人間では、酔いが醒めたとき「成功しても失敗しても死罪は免れない」という現実に負けてしまうのかもしれない。
閑話休題、今でこそ死刑を待ちわびるような言動を繰り返している金川被告だか、いざ死刑執行の時がきて、両側を看守に抱えられて無理矢理連れていかれそうになって、今まで漠然と観念的にしか理解していなかった“死”を現実のものとして肌身に感じた時、
「死が恐ろしいか…」
(by乙女座のシャカ:聖闘士星矢 より)

聖闘士星矢 聖闘士聖衣神話 バルゴシャカ
との問いに、果たしてこれまで同様、死を待ちわびるような言動がとれるだろうか?
◆最後までお読み頂きありがとうございました。
金川被告の死刑確定へ=控訴取り下げ、土浦連続殺傷-水戸
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091228-00000058-jij-soci

