
JR吾妻線・川原湯温泉駅
旧知の方に誘われ、群馬県を走るJR吾妻線に乗車する機会に恵まれた。沿線は風光明媚で知られるが、現在の川原湯温泉駅は、建設続行の是非を巡って揺れる八ッ場(やんば)ダムが完成した場合、水没する運命にある。

同駅をホーム側より撮影
なお国土交通省によれば、ダム工事が中止された場合でも同駅の水没に対応すべく進められていた移設工事は続行する方針とのこと。これは吾妻川の渓谷を走る故、降雨に弱いという同路線の泣き所をカバーする意味合いもあるためなのだとか。いずれにしても、この風情ある木造駅舎が役目を終える日は遠くないと思われる。
さて、八ッ場ダムの建設計画が発表されたのは今から50年以上も昔の1952(昭和27)年。その建設を巡っては、永い反対運動の末、ようやく合意に至っている。
八ッ場ダム
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しかし民主党政権になってまもなく、同計画に「待った」がかかった。その後の経緯については、民主党による公共事業見直しの象徴的事例としてTVでも大きく取り上げられたので、ご存知の方も多いだろう。
【八ツ場ダム】住民ら、意見交換会応諾で前原国交相に回答書提出
(産経新聞)
その八ッ場ダム建設中止問題をめぐり、前原誠司国土交通相から打診された意見交換会の開催に、地元住民らが応じるとの意向を書面で提出したと記事は伝えている。来年1月24日を開催予定日として調整しているそうだ。
ただし書面中に「『仮にダムが中止になった場合』の生活再建について、議論することはできません」と記すなど、ダム建設中止の撤回を求める立場を改めて強調する意向とのこと。
地元住民側は、まるで
「タイミングずれの和平工作が何になるか」
(byギレン・ザビ:機動戦士ガンダム より)

機動戦士ガンダム ギレンの野望 アクシズの脅威 PSP the Best
と言わんばかりに態度を硬化させてしまっており、徹底抗戦の構えを見せている。この辺は普天間飛行場の移設問題にも通じるのだが、政権与党が交代したという理由だけで、それまで苦難の道のりを超えて進めていた案件を事前の説明も具体的な代替案もなく一方的に御破算にされては、当事者としては憤りを覚えるのも無理からぬことと思う。
地元住民がここまで頑(かたく)なな態度に出てしまっているのは、計画が中止になったことそのものに対する憤りではなく、事前調査や地元への十分な説明も行われなかったことに対する怒りの方が大きいのではないかと私は感じている。
ところで、この問題が報道で何度も取り上げられていたとき、残念ながら同ダムの建設計画賛成派に対して心無い批判や中傷があったとも聞く。だが、そうした批判や中傷を寄せる人たちのなかに、建設合意に至るまでの地元住民の苦悩と葛藤と闘争の歴史を知る人が――いや、知ろうとした人がどのぐらいいたのだろうか? TVのコメンテーターの言い分を鵜呑みにしているだけではなかったのではないだろうか?
◆最後までお読み頂きありがとうございました。

八ツ場ダム 住民ら、意見交換会応諾で前原国交相に回答書提出
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091219-00000517-san-soci