(MONEYzine)
日本人にもっとも浸透している占いといえば、血液型占い(血液型別性格判断)にトドメをさすだろう。なにしろ特に信心深くもオカルティズムに傾倒してもいない人たちでも、当たり前のように「あの性格は典型的なB型だよねー」とか「私はA型だから…」といったようなセリフを口にする。一方で、血液型別性格判断を信じているのは日本以外では東アジアのごく一部の国ぐらい。欧米人で血液型占いを気にする人は、自分が知る限り
「名前は必要ない。君の名前や生まれ育った環境はどうでもいい…。重要なのは今の健康状態であり…生年月日と血液型だ…。魚座のO型! それが重要なんだ。ブチャラティは牡羊座のA型だから占いによると相性が君ととても悪い。それがスゴク最高にいいッ!」
(byメローネ:ジョジョの奇妙な冒険第五部 より)

ジョジョの奇妙な冒険 (54) (ジャンプ・コミックス)
と口走りながら一人で興奮しているスタンド使いの暗殺者ぐらいだ。大抵の人は歯牙にもかけないどころか、自らの血液型を知らない人も多い。だから日本人に血液型別性格判断の信奉者が多く存在し、日常会話の端々に血液型の話題が出てきたり、血液型別性格判断の本がベストセラーになるというような現象が、彼らの目には非常に奇異に映るのだろう。
断っておくが、血液型と個々人の性格の因果関係の証明について、信頼に足りるような科学的根拠は提示されていない。そもそも血液型といわれて一般的に脳裏に浮かぶであろうA型やO型といった分類法はABO式血液型と呼ばれる分類法で、数多い血液型分類法のごく一部でしかない。そのほかにも医学的には様々な血液型分類法が存在しており、その組み合わせは数万種類にも上るという。
【代表的な血液型分類法】
ABO式血液型=赤血球の種類による分類法
Rh式血液型=赤血球膜の抗原による分類法
HLA型==白血球の種類による分類法
それなのにたった4種類で分類し、全てを規定しようなんて、あまりにも大雑把過ぎるのではないかと思うが、それでも血液型性格判断が信奉される背景には、本来把握するのが非常に難しい個々人のパーソナリティを簡単に判断する材料として利用できるからだろう。
しかし、少し考えてみてほしい。もし血液型によって人間の個性が規定されるとすれば、人間の個性は生物学的要素で全てが決定してしまい、後天的な変更や改善の余地はないということにはならないだろうか。なぜなら特定の病気やその治療による影響を除けば、血液型は生涯変化することは無いからだ。もしかすると血液型性格判断とは「生まれながらにして人間の優劣は決定している」といったような選民思想と同根の発想ではないだろうか?
血液型性格判断を安易に話題とするのは、そうした危険性を孕んでいる…と結論付けるのは大げさだろうか?
◆最後までお読み頂きありがとうございました。

日本の「血液型性格診断」ブーム、米国でも強い関心を集める
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