参考:聖墳墓教会
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
宗教上極めて重要な施設であるため、同教会はキリスト教系の計6宗派が所有権や使用権を分有している状態なのだが、各宗派が管轄する場所の境界線が曖昧なためにトラブルが絶えないという。そのため、このような騒ぎがたびたび起こるのだそうだ。
9日、同教会にてギリシャ正教とアルメニア正教の聖職者による諍いが発生。イエス・キリストが磔にされたとされる十字架にアルメニア正教の聖職者達が祈りをささげるための儀式を行おうとしたところ、儀式の際にキリストの墓がある聖堂内に自派の聖職者が陣取ることを求めたが拒否されたギリシャ正教の聖職者たちとの間で乱闘騒ぎに発展。数人が顔から血を流す怪我をして警察が駆けつけ、2人の逮捕者まで出たという。
イエス様の教えを信じて日々研鑽に励んでいるであろう彼らに対し、自分が聖書の言葉を引用して語るのは“釈迦に説法”であろうが、ひとこと言わせてもらいたい。イエス様は「隣人を愛し、敵を憎めと言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし私はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するもののために祈れ」と――「汝の敵を愛せよ」と仰られたのでは無かったのか?
それとも聖書のどこかに「立場や主観の相違などで対立したら一切妥協などしてはならず、暴力に訴えてでも自説を押し通しなさい」などと書かれているのか? 言葉で理解していても、それを実行・実践できないのであれば、その信仰は偽物であると断じざるを得ない。
そして一番怖いのは、こうした人たちが一般の信徒達に普段どのような教えを説いているのか、である。
「いいですか?暴力を振るって良い相手は悪魔共(バケモノドモ)と異教徒共だけです」
(byアレクサンド・アンデルセン:HELLSING より)

HELLSING 1 (1) (ヤングキングコミックス)
などと、もっともらしく語っているのだとしたら? 信徒達が自らの意見をゴリ押ししたいと考えたときに
自分達と意見が違う人
↓
異教徒
↓
悪魔
↓
暴力OK
といった論法を使ってしまうとも限らない。普段からこんな説法を受けている信徒達が、信心深い人から狂信者へと変貌するのは難しくないのではないか!
もちろん、世の中には常識と良識と見識を兼ね備え、イエス様の愛と神の教えを貫いておられる方も数多くおられることは重々承知している。ごく一部の者達の愚行により、全体的に悪い評判が敷衍してしまうのは残念でならない。
◆最後までお読み頂きありがとうございました。

「ゴルゴタの丘」で乱闘騒ぎ=巡礼者もびっくり-エルサレム
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081110-00000095-jij-int